- 大正8年創立
- 当社の創立者は、藤山コンツェルンの創業者、初代日本商工会議所会頭を務めた藤山雷太です。
福澤諭吉のもとで学び、薫陶を受け、大正8年2月3日に株式会社集成社を創立しました。
藤山雷太は、東京商業会議所会頭、日本商業会議所連合会会頭をはじめ、日本火災保険副社長、三井・安田・共同の各信託会社の相談役・取締役を歴任した、明治から大正を駆け抜けた実業家です。 現在、慶應義塾大学には藤山記念館が寄贈され、銅像が建てられています。
- 藤山雷太
「藤山雷太伝」より
- 創立~戦中戦後
- 集成社の初代社長は、藤山雷太の長男藤山愛一郎が就任しました。
創立後は、早くから保険の重要性を社会に説き、日本の損害保険業の発展と共に順調に進展。
また、航空保険を始め、企業保険のパイオニアとして保険会社と共に発展、日本損害保険代理店協会の立ち上げにも助力しています。
その間、外務大臣、経済企画庁長官、経済同友会幹事長、日東化学工業株式会社(三菱レイヨン)社長を歴任。 敗戦後は初代日本航空株式会社会長、日本テレビ放送網株式会社取締役、日本金銭登録機株式会社(現:日本NCR株式会社)初代社長などに就任して財界の勢力挽回に尽力。
また、父と同じく、東京商工会議所・日本商工会議所会頭も務めています。
- 初代社長 藤山愛一郎
時事画報社「フォト(1961年12月15日号)」より
- 昭和~現在
- 戦中戦後の苦難な時代を克服し、昭和35年8月に日東不動産(株)を吸収合併し、
社名を株式会社日東集成社と改名、昭和46年には広告部門、52年には生命保険部門を加え、57年には損害保険代理店資格「特級」を取得。代理店の地位を確立すると同時に、業界並びに契約者各位の絶大な信用を博して参りました。
平成16年7月、経営の近代化と保険業界の新時代に俊敏に対応するため、心機一転の心構えで設立当初の社名「集成社」に改名し、保険代理店を専業とする会社として再スタートしました。
昭和56年に藤山愛一郎の甥、藤山俊二が社長に就任。平成29年6月に藤山裕介が社長に就任し現在に至っております。
取引損害保険会社(順不同)
- 三井住友海上火災保険株式会社
- あいおいニッセイ同和損害保険株式会社
- 東京海上日動火災保険株式会社
- 損害保険ジャパン株式会社
- 共栄火災海上保険株式会社
- 日新火災海上保険株式会社
- Chubb損害保険株式会社
- AIG損害保険株式会社
- 明治安田損害保険株式会社
取引生命保険会社(順不同)
- 三井住友海上あいおい生命保険株式会社
- 東京海上日動あんしん生命保険株式会社
- アクサ生命保険株式会社
- オリックス生命保険株式会社
- 明治安田生命保険相互会社
- SOMPOひまわり生命保険株式会社
- 富国生命保険相互会社
- ソニー生命保険株式会社
- アフラック生命保険株式会社
主な取引銀行(順不同)
- 三井住友銀行五反田支店
- 三菱UFJ銀行五反田支店
主な取引先(順不同・敬称略)
- 日本テレビ放送網株式会社
- 日本テレビホールディングス株式会社
- 株式会社日テレ・テクニカル・リソーシズ
- 株式会社日テレアックスオン
- 株式会社日テレイベンツ
- 株式会社日本テレビアート
- 西日本映像株式会社
- 株式会社KKTイノベート
- 株式会社鹿児島ビジョン
- 日本NCR株式会社
- 北海道糖業株式会社
- 公益社団法人糖業協会
- 川岸工業株式会社
- 株式会社岩崎清七商店
- 高砂熱学工業株式会社
- 株式会社構造計画研究所
- 株式会社ノリタケカンパニーリミテド
- 株式会社大倉陶園
- 一般社団法人霞会館
- 一般社団法人尚友倶楽部
- 株式会社ナウイエンタープライズ
- 株式会社サニクリーン東京
- 株式会社サニクリーン
- デイベンロイリネンサプライ株式会社
- 株式会社デイベンロイ
- 株式会社トーヨー
- エスケーユニフォーム株式会社
- 税理士法人HOP
- 一般社団法人相続診断協会
- 一般社団法人日本樹木医会
- 東京都23区各市町村自治体